東京地方裁判所 昭和44年(行ウ)77号 判決 1969年12月26日
原告 奥崎謙三
被告 東京拘置所長
訴訟代理人 横山茂晴 外三名
主文
本件訴えを却下する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者双方の求める裁判
(原告)
「被告が、原告に対し昭和四四年五月二六日なした原告の妻との交合許可申請に対する不許可処分を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決。
(被告)
一 本案前の申立
主文と同旨の判決。
二 本案についての申立
「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。
第二原告の主張――請求原因
一 原告は、昭和四四年一月四日東京地方裁判所裁判官竪山真一の発した勾留状により勾留され、次で同年三月五日同地方裁判所に暴行の罪名で起訴され(同庁同年刑(わ)第一三一六号暴行被告事件)、現に刑事被告人として東京拘置所に収監されているものである。
二 そして、原告は、大正九年二月一日生れの妻帯者であるが、昭和四四年五月被告に対し、右拘置所内における妻との交合を許可するよう申請したところ、被告は、同月二六日原告に対し、右申請を許可しない旨の処分をなし、同日同拘置所看守を通じ、口頭で、これを原告に告知した。
三 しかしながら、右不許可処分は、次の理由により違法であつて、取消しを免れない。
(一) 原告は、目下、その生活のすべてを監獄法およびその関係法令の定めるところにより規律されているが、右各法令には在監者が拘置所内で夫婦関係を営むことを禁じる規定がない。もしこれを禁じる趣旨であるとすれば、それは人権侵害を容認するものであつて、憲法一一条、一三条、二五条、九七条等に違反し、無効というべきである。なぜならば、人間の性欲は、食欲、排泄作用等と同様、抑えがたい自然的、本能的な生理現象であつて、その理由のない禁圧は個人の人間性を否定し、基本的人権を侵害することになるからである。
(二) しかるに、わが国の拘置所では、一般に在監者の性欲の充足を禁じる措置が構じられていて、被告匝原告とその妻との交合につき不許可の処分をしたのも、その例によつたものであるが、もともと、在監者に性欲の満足を許すことには、格別の障害があるわけではないから、被告の右不許可処分は、拘置所の一般的措置とともに、上記監獄法規または憲法の規定に抵触する。
第三被告の主張
(本案前の抗弁)
本件訴旨は、被告が原告とその妻との交合の申請についてなした不許可処分の取消しを求めるというのであるが、いうところの不許可処分は、抗告訴訟の対象たりうる行政処分に該当しない。すなわち、刑事被告人として拘禁されている者から拘置所の長に対し妻との交合を出願する権利が認められるわけではないから、原告の右申請は単なる希望の申出と解するほかはなく、被告も、これに対し、希望に沿いえない旨を知らせる事実上の行為をしたにすぎず、なにも法律的効果の伴う行政処分をしたものではない。従つて、本件訴えは不適法である。
(本案についての答弁)
一 前掲請求原因中、一の事実は認める。同二の事実は、原告主張の被告の行為が行政処分であるという点を除き、これを認める。
二 同三の主張は理由がない。その所以は、以下のとおりである。
(一) 勾留状の執行により監獄(代用監獄を含む。)に拘禁されている被告人および被疑者(以下、単に刑事被告人という。)は、監獄法およびその関係法令の定めるところによつて、監獄の内部規律に服するが、刑事被告人の逃走ならびに罪証湮滅の防止を目的とする拘禁は、その身柄を監獄に留置して外部との接触、交渉ないし交通を遮断することを本旨とするから、右各法令は、これに合致するように定められ、在監者が部外者と直接接する方法としては、面接のうえ主として会話によつて意思を伝達する接見のみを認め、それ以上の身体接触、例えば接吻、握手、抱擁および交合等にわたることは認めていないのである(監獄法四五条、同法施行規則一二六条、一二七条)。
(二) そして、刑事被告人を逃走ないし罪証隠滅の防止の必要上、外部から隔離するため拘禁(勾留)することは、憲法三四条において予定され、また、これによつて外部との交通に属する配偶者との交合が不可能となることは憲法上容認されているところである。のみならず、在監者に対し配偶者との交合を認めないことは前記拘禁の目的上、必要であるとともに、多数の刑事被告人を集団的に拘禁している監獄の管理運営上、不可欠の規律維持のためにも必要であるから、実質的には公共の福祉に合致し、違憲とされる余地がない。すなわち、拘禁の目的ならびに監獄の管理を全うするためには、戒護によつて在監者を常に監獄の支配下においていなければならないが、もし、在監者にその配偶者との交合を許すとすれば、事の性質上両者を監獄職員の立会いのない全く無戒護の状態におくほかなく、かくては次のような不都合が生じるおそれがある。
(1) 逃走用具を授受する機会を与える。もつとも、事後の身体検査で防止すればよいといわれるであらうが、現実の問題として、それでは、完全を期することが不可能である。なお、自殺の目的ないし勾留の執行停止をねらいとする自傷の目的で毒物、病源菌等を授受し、また、これを嚥下する危険もあるが、これを防止することは不可能である。
(2) 罪証隠滅またはその謀議の機会を与えるが、その防止が不可能なことはいうまでもない。
(3) 麻薬、覚せい剤、煙草または酒その他の差入れ禁制品もしくは持出しの許されない物品の不正授受の機会を与え、その結果、監獄の規律維持等、管理運営上、重大な支障が生じる危険がある。
(4) 加えて、監獄が拘禁によつて自由を束縛された多数の者を収容しているため、その管理上、取扱の斉一を要請されているのに、一部の在監者が配偶者との交合の機会を与えられることにより、他の在監者が欲求不満の余り嫉妬羨望の念にかられて喧嘩闘争を挑むような事態が生じるおそれがある。もつとも、在監者の間には、外部からの差入れの厚薄、接見の頻度等によつても不平等が生じうるが、他の在監者のこれに対する感情のごときは、とうてい性欲に根ざした不平等感に及ぶものではない。
理由
一 原告が妻帯者で昭和四四年一月四日から刑事被告人として東京拘置所に収監されているものであること、原告が同年五月被告に対し右拘置所内における妻との交合を許可するよう申出たところ、被告が、同月二六日同拘置所看守を通じ、口頭で、これを認容しない旨を告知したことは当事者間に争いがない。
二 そこで、被告の本案前の抗弁について考察する。
(一) 元来、拘置所における、その長と刑事被告人たる被拘禁者との間の公法上の関係は、刑事訴訟法六〇条、七〇条一項、七三条二項所定の勾留の裁判および勾留状の執行を目的として拘置所について成立する公法上の営造物利用関係であつて、講学上、いわゆる特別権力関係に属するものとみられ、従つて、拘置所長は、刑事訴訟法による勾留の目的を達成するためには成法上の具体的明文によらずとも、被拘禁者に対し、包括的支配権を行使することができるものと解すべきである。
ただ、しかし、特別権力関係における特殊な規律作用には、特別権力関係の成立原因たる公法上の目的自体から内在的な制約が存すべく、拘置所において被拘禁者がこれに服するのも前記のような公法上の営造物利用関係の成立原因たる刑事訴訟法上の未決勾留制度の目的を達成するに必要な限度に止るものでなければならない。従つて、具体的な個々の場合において、拘置所長の被拘禁者に対する公権力の行使が、社会観念上、右限度を超えるものと認められるときは、当然、被拘禁者の一般市民としての法的地位に対する関係において、その法適合性について、司法審査を免れず、その限りにおいて、拘置所長の行為は、抗告訴訟の対象としての公権力の行使たりうるものと解される。
(二) ところで、刑事被告人を拘置所に勾留する目的は、その逃亡または罪証隠滅を防止するにあるが、監獄法および同法施行規則は、拘置所長がかような目的達成のため権限を行使する基準を定めている。そして、刑事被告人たる被拘禁者の配偶者との拘置所内における交合が監獄法四五条および同法施行規則一二〇条ないし一二八条、一三九条等の定める「接見」なる行為に含まれるかというと、右にいわゆる「接見」とは、右施行規則によれば、接見室という特定の場所において(一二六条一項)、原則として監獄官吏の立会のものに(一二七条一項)許されることになつている点からみても、単なる面接、対談を意味し、配偶者との交合まで含むものとは解することができず、ほかに、監獄法規上、刑事被告人たる被拘禁者に対し配偶者との拘置所における交合を容認すべきものとした規定は存在しないのみならず、監獄法規全体からみれば、むしろ、これを許さない趣旨であると解するのが相当である。
(三) それでは、刑事被告人たる被拘禁者に対するかような監獄法規の取扱いは憲法の精神に照し、未決勾留制度の目的を達する必要上合理的な限度を超えていないか、検討する。
憲法は、刑事被告人の拘置所における地位について直接規定するところがないが、刑事被告人といえども、国民の一員として生命、自由および幸福追求に対する権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政上、最大の尊重を必要とされること(同法一三条)はいうまでもない。しかし、刑事被告人を逃走または罪証隠滅の防止上、外部から隔離するため拘置所に拘禁することは、憲法三四条の予定するところであつてそれ自体について右憲法の精神に背馳するとみられるいわれはない。そして刑事被告人たる被拘禁者の配偶者との拘置所における交合を許さない監獄法規上の取扱いも未決勾留の目的のためならびに多数の刑事被告人を集団的に拘禁している拘置所の管理運営のため被拘禁者の処遇について要求される技術的配慮に適合する。けだし、もし、刑事被告人たる被拘禁者に右のような行為を許せば、事の性質上、被拘禁者を部外者たる配偶者とともに監獄官吏の立会いのない完全な無戒護の状態に置かざるをえず、その結果、罪証隠滅の機会を与え、また逃走用具および麻薬、覚せい剤その他の有害な物品の授受ならびに被拘禁者の自殺および自傷行為、時には伝染病の病源菌の流入を防止することが不可能となり、未決勾留の目的が妨げられるだけでなく、拘置所に収監されている多数の被拘禁者の秩序維持および健康管理上、好ましくない事態が生じるおそれがあるからである。一方、刑事被告人たる被拘禁者が配偶者との交合を禁止されることによつて蒙るべき不利益は、もともと未決勾留制度に必然的に随伴するものであるから、刑事訴訟法は、必要的保釈および不当に長期にわたる勾留の職権による取消を認めて、右のような被拘禁者の不利益の軽減を図り、また裁判の結果、無罪の宣告があつたときは、右のような拘禁者の不利益を刑事補償によつて填補すべきものとし、これにより勾留制度の利害の均衡を保たせているのである。従つて、彼此考慮すれば、刑事被告人たる被拘禁者の交合に関する監獄法規上の取扱いは、公共の福祉に照して是認さるべきである。
(四) してみると、被告が原告の本件申出を拒否した措置は、監獄法規が前記のように合目的的に定めたところに合致し、憲法秩序に適合するとともに、特別権力関係における包括的支配権の行使としても、制度上認められる限界内においてなされたものというべきであるから、司法審査の対象とするに値しない。
三 以上の次第で、本件訴えは、抗告訴訟の対象たるべき処分が存在しないことに帰し、不適法であるから、これを却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 駒田駿太郎 小木曾競 山下薫)